第14回日本獣医畜産大学学術交流会シンポジウム講演要旨

野生生物の救護活動と獣医学
−保全生物学の視点から−
植松一良 (野生動物救護獣医師協会)


はじめに

 野生動物救護獣医師協会は、野生生物の救護活動を通じて環境保全を科学する非営利団体として、1991年に臨床獣医師を中心として発足しました。ご存じのとおり、臨床の現場というのは人々から常に現実的対応を求められ、机上の空論ではない実践と結果が要求されます。ボランティア活動とはいえ、地域で直接野生生物とかかわる人たちが獣医師に期待するのは、目の前の野生生物に起っていることに対する診断と、その問題に対する処方箋ではないでしょうか?
 最近の獣医学は日進月歩で、応用科学としての獣医学的技術は野生生物の多様性の保全、人を含めた生態系の保全への貢献が大いに期待されています。ここでは、野生生物の多様性保全活動における獣医学の位置づけについて、保全生物学という新しい概念を紹介することで、すこし整理してみたいと思います。

保全生物学とは

 保全生物学 (Conservation Biology) は、生物学を中心とした科学の視点から、生物の多様性に取り組む学際的な総合科学であると定義されています (Primack 1993)。その目指す所は生物の多様性の保全であり、その目的のために必要なことはなんでも取り込んでいく学問分野であると位置づけられています (樋口 1996)。
 保全生物学は主に2つのことに深くかかわります (Primack 1993)。一つめは、生物の多様性に対する人間の関与・影響を調べることです。今日の生物多様性の減少は、人間がもたらしているものですが、その減少の実態や過程、原因や仕組みを具体的に調べるとです。2つめは、多様性を保全する実際の方策を検討、発展させることです。ここには、生物学上の問題と社会科学上の問題の両方が有ります。保全を実際に進めるにあたって必要となる、法律や制度をどう整備するかといったことまで含まれます (樋口 1996)。
 上記のように考えてくると、この分野では、獣医学が多岐にわたる貢献を果たす可能性があることに気づいて頂けると思います。以下にわれわれが取り組んできた具体例を示しながら、整理してみようと思います。

生物の多様性に対する人間の影響

 会員病院のカルテ集計を実施していく中で、ハクチョウで鉛中毒の個体が散見されることがわかってきました。その後諸外国ではすでに詳細な調査が行われていること、日本でも1989年に北海道で水鳥の大量死が起っていることなどが判明し、1992年から水鳥を中心として症例の記録の収集整理・臓器内の鉛の濃度の測定に取り組み、1995年全国的調査をもとにした報告書を発行しています。
 このほかにも、獣医学が取り組むべき問題として、船舶事故による野生生物被害(梶ヶ谷 1998) 農薬や除草剤による野鳥の大量死(梶ヶ谷 1997)、移入種の帰化 (川道 1998)、内分泌撹乱化学物質の野生生物への影響等々、獣医学が取る組むべき問題は日本ではまだまだ手つかずに近い状態です。多くの獣医学徒が、積極的に取り組んで頂きたいと思います。

多様性保全の処方箋

 保全生物学では、取り組みの当初から問題の分析と同時に、現実的な解決策を模索する立場を重視しています。日本における過去の自然保護活動がともすると、問題提起に満足して、結果として有効な対策を打ち出せずにいる傾向がありました。
 WRVは、鉛中毒では鉄散弾への切り替え(植松 1995)を、油汚染では救護体制と情報のネットワークの確立(植松 1998)を、移入種問題ではマイクロチップの導入(植松 1998)を検討・論議して、現実的な処方箋を提案するよう努力しています。
 このほかにも、絶滅危惧種の飼育下繁殖と再導入、遺伝子分析による減少種のモニタリング等々、獣医学の知恵を駆使すれば処方箋のバリエーションはまだまだ増やせるのではないでしょうか!

おわりに

 われわれ獣医師が野生生物の保護活動に関わるとき、時として生態系保全と相矛盾するその他の立場との板挟みに陥ることがあります、たとえは、動物愛護と移入種問題や畜産業と環境保全など・・・。今回提示した保全生物学の概念が、そのような状況を整理する何らかの尺度になれば幸いです。