東京都下で発生した野生ニホンカモシカの
パラポックスウイルス感染症

山上哲史,高橋公正,杉山公宏1) 植松一良2) 野口泰道3) 幡谷 亮4) 須藤庸子5)
1)日本獣医畜産大学(〒180 武蔵野市境南町1-7-1)
2)昭島動物病院(〒196 昭島市中神町1260)
3)多摩動物総合病院(〒197 福生市熊川659)
4)農林水産省家畜衛生試験場東北支場(〒039-25青森県上北郡七戸町字海内31)
5)山形県中央家畜保健衛生所(〒990-21 山形県漆山736)

連絡責任者:山上哲史 日本獣医畜産大学 獣医病理学教室
〒180 東京都武蔵野市境南町1-7-1
Phone:0422-31-4151
Fax:0422-33-2094
E-mail:yamagami@hgc.ims.u-tokyo.ac.jp

要約:野生ニホンカモシカのパラポックスウイルス感染症3例を病理学的に検索した。多発性の潰瘍・肥厚性病変が、口唇、眼瞼、口腔粘膜および隣接皮膚に認められ、有棘細胞の空胞変性および増殖とともに好酸性細胞質内封入体が認められた。透過電子顕微鏡観察では、空胞化有棘細胞の細胞質内にパラポックスウイルス粒子が観察された。

キーワード:ニホンカモシカ、パラポックスウイルス

Parapox Virus Infection of Wild Japanese Serows (Capricornis crispus) in Tokyo
Tetsushi YAMAGAMI*,Kimimasa TAKAHASHI, Masahiro SUGIYAMA,
Kazuyoshi UEMATSU, Yasumichi NOGUCHI, Makoto HARITANI and Yoko SUDO
*Department of Veterinary Pathology, Nippon Veterinary and Animal Science University,
1-7-1, Kyonan-cho, Musashino, Tokyo 180, Japan

Summary: Three wild Japanese serows (Capricornis crispus) infected with parapox virus in Tokyo Metropolitan area were examined for pathologic lesions. Multifocal papular lesions were seen on the lips, eyelids, oral mucosa and/or on adjecent skin. Histopathologically, keratinocytes showed ballooning and marked proliferation, and eosinophilic cytoplasmic inclusions were frequently observed. Electron microscopy revealed a number of parapox virions within ballooned keratinocytes.

key words: Japanese serow, parapox virus
<はじめに>
 パラポックスウイルス属は、ポックスウイルス科に属する二本鎖DNAウイルスで、その感染症は人を含めた種々の動物で確認されている2)。パラポックスウイルス感染症の病変の特徴は、ポックスウイルス科に共通の皮膚あるいは粘膜の肥厚・潰瘍病変で、動物ではめん山羊などの伝染性膿胞性皮膚炎や潰瘍性皮膚炎、牛の丘疹性口炎、偽牛痘などがその代表的疾病である2)。罹患動物はウイルスそのものからは致死的な影響は受けないとされるが、病変が口腔周囲や口腔内、食道、胃などに形成されると採食困難となり、栄養不良から衰弱死に至る。
 今回われわれは、東京都下奥多摩地区に生息するニホンカモシカのパラポックスウイルス感染症を3例経験し、病理学的に検索した。

<材料と方法>
症例:
症例はニホンカモシカ(Capricornis crispus)で、推定10歳の雄、同8歳の雌および同5歳の雄の3例である。いずれも、平成6年6月から8月にかけて東京都奥多摩地区で衰弱していたところを東京都労働経済局林務課により保護された。東京都から保護および治療の依頼を受けた野生動物救護獣医師協会にて加療したにもかかわらず衰弱が著しく死亡し、全例とも日本獣医畜産大学獣医病理学教室にて死亡同日病理解剖を行った。 病理学的検査:病変部は20%中性緩衝ホルマリン固定を行い、常法に従い組織標本を作成し、光学顕微鏡にて観察した。また病変部は、2.5%グルタールアルデヒド、1%四酸化オスミウムで二重固定し、常法に従いエポン包埋、超薄切片作成後、電子顕微鏡観察を行った。
<結果>
病理所見:
剖検時には全例とも削痩が著しく、被毛は著しく粗剛で、栄養状態はきわめて不良であった。体表には少数のフタトゲチマダニの寄生が認められた。全例に共通した最も顕著な肉眼病変は、上下口唇粘膜および皮膚のほぼ全周にわたる顕著な肥厚病変(図1)であった。黄褐色でカリフラワー状に隆起した病変部には、漿液性の滲出が著しく、口腔内には多数のウジが寄生していた。また程度の差はあるものの、全例で左右眼瞼のほぼ全周にも同様のカリフラワー状の肥厚病変を認めた。

図1 口腔周囲の粘膜、皮膚の肥厚病変 図2 眼球周囲の肥厚病変

粘膜および隣接する皮膚病変に加えて、体幹部皮膚に病変のある症例では、発赤隆起病変、痂皮形成をともなう隆起性の病変、明らかな表皮欠損をともなう潰瘍病変などの種々の程度の病変を認めた。
 これら粘膜および隣接する皮膚病変部の組織検査では、粘膜および表皮の不規則で高度な乳頭状増殖がみられ、表層には重度な細菌感染と厚い痂皮形成が認められた。また、病変部の有棘細胞には激しい空胞変性が広範囲にみられ、真皮には好中球とリンパ球を主体とした高度の炎症細胞浸潤が認められた(図3)。これらの空胞化した有棘細胞には、好酸性あるいは好塩基性の細胞質内封入体が多数検出され(図4)、ポックスウイルス感染が示唆された。

図3 粘膜肥厚病変部の組織像(HE染色、X90) 図4 空胞化した有棘細胞の細胞質内封入体(矢頭)(HE染色、X760)


 体幹部皮膚の組織検査では、表皮の肥厚、角質下膿疱および潰瘍の形成がみられ、粘膜病変同様に、空胞化した有棘細胞には、細胞質内封入体が観察された。よって、これらの皮膚病変も、ウイルス感染によって障害された上皮細胞の増殖と変性、それに引き続く細菌感染に起因するものと理解された。その他の病変としては、1例で舌粘膜に潰瘍を認めた以外に、内臓には著変を認めなかった。
 電子顕微鏡所見:透過電子顕微鏡観察では、粘膜病変部の空胞化した有棘細胞の細胞質内に多数のウイルス粒子が観察された(図5)。
図5 空胞化した有棘細胞の細胞質内にみられた成熟ウイルス粒子の電子顕微鏡写真

成熟ウイルス粒子は、約300から250×150nmの大きさで、長楕円形のエンベロープと膜、その内部に楕円形のヌクレオソームを有した。従来の報告4,5)と同様に、これらの形態的特徴はパラポックスウイルスのそれと一致するものと考えられた。
<考察>
 以上の所見から、本症例はニホンカモシカのパラポックスウイルス感染症と診断した。本邦における本感染症の発生は、1952年の浅川ら1)のめん羊での報告以降、1976年に秋田県の野生ニホンカモシカに同様疾病が多発し、ウイルス分離が行われている。次いで1978年に、青森県の野生ニホンカモシカで同様ウイルスが分離され、1979年には宮城県の動物園で飼育されていたニホンカモシカに同様疾病が多発3)、最終的に1982年まで東北地方において約6年にわたる同様疾病の流行が記録されている4,5)。その後、1984年から1985年にかけて岐阜県下で同様疾病の流行があったが6)、現在までのところ東京都下で同様疾病の発生の報告はなされていなかった。
 パラポックスウイルスは前述の数種の疾病の原因ウイルスであるが、個々のパラポックスウイルスは血清学的には交差反応性を示すため、血清学的には同定ができないとされている9)。そこで同定にはウイルスの遺伝子DNAの解析が試みられている。しかし、核酸のG+C含量が高いこと8)、数種のパラポックスウイルスではゲノムDNAの制限酵素切断パターンに共通点があり、グループ分けができること9)、などが知られている程度で、パラポックスウイルス種を正確に同定することは容易ではない。今回のニホンカモシカの症例でも、ウイルス種の同定はできなかったが、主要病変が口腔、眼瞼周囲に出現していること、特徴的な肉眼および組織像、細胞内ウイルス粒子の形態などから、パラポックスウイルス感染症と診断した。

 現在も同様の疾病が東京都下奥多摩地区のニホンカモシカで発生しているため、個体数の減少が危惧される。また、ニホンカモシカだけでなく偶蹄家畜への伝播も予想され、犬や猫あるいは人に発症した報告もあるため7)、さらに今後は注意が必要である。
<引用文献>
1)Asakawa Y, Imaizumi K, Tajima Y, et al: Jpn J Med Sci Biol 5, 475-487 (1952)
2)Baker IK, Dreumel AAV, Palmer N: Pathology of Domestic Animals, Vol.3, 4th ed,Jubb KVF,et al,eds, 176-177 Academic Press Inc, California (1993)
3) 加藤博企、佐藤幸作、石川勇士、他:動水誌22、46-50(1980)
4) Okada HM,Okada K,Numakunai S, et al: Jpn J Vet Sci 46(3), 257-264(1984)
5) Okada HM,Okada K,Numakunai S, et al: Jpn J Vet Sci 46(3), 297-302(1984)
6) Suzuki Y,Sugimura M,Atoji Y, et al: Jpn J Vet Sci 48(6), 1279-1282(1986)
7) Wilkinson GT, Prydie J, Scarnell J: Vet Rec 87, 766-767(1970)
8) Wittek R, Kuenzle CC, Wyler R, et al: J Gen Virol 43, 231-234(1979)
9) Wittek R, Herlyn M, Schumperli D, et al: Intervirology 13,33-41(1980)

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